国連職員になろうと思い、大学受験を視野に進学する高校を決めた私はその後、どうなったのか。
昨日のブログを読んでくれた人は、長い時間をかけて努力し目標を達成したなんて!と思ってくれた人もいるかもしれない。
努力したのか?と言われたら、答えはYESだけど、たえず国連職員になるんだということを心に秘めて努力してきたわけではない。
高校生の頃は、自分が国連職員になろうと思っていたことを、ほとんど思い出さないまま3年間を過ごしたと思う。進路も、中学生の頃に考えていたものとは全然別のものになった。(法学部に行くつもりが、思いつきのような理由で経済学部に進学した)人並みの大学生活を送って、都市銀行に就職した。
就職を決めた頃の私は、超ドメスティック志向だった。「国連職員になりたい」と燃えていた少女はどこへ消えてしまったのか、「国際」とか「インターナショナル」なんて自分には合わないと思っていたし、興味もなかった。
もちろん、都銀も国際業務をやっていたし、同期の中では人気のある部署だったけど、当時は業務規模も縮小傾向にあったし、帰国子女やら留学経験のある同期もたくさんいたし、私には関係ないと思っていた。
私も経済学部出身なので、銀行業務の基本は知っていた。はずなのに!銀行に入って一番驚いたことは、「銀行はお金を貸すところ」だということを知ったことだった。そんなの当たり前なのに、よくわかっていなかった私。何で銀行に入っちゃったんだ??迷路に迷い込んだような気持ちになった。
お金を貸すことに何のおもしろさも感じられなかったし、心からよいと思えない商品をお客さんに勧めたり販売したりするのは苦痛だった。言葉にするとなんて野暮ったいのだろうと思うけれど、私は、どうしても銀行の仕事や職場の雰囲気が好きになれなかった。
銀行のお給料はよかった。今じゃ死語かもしれないが、「キャリア・ウーマン」ってやつだったし、銀行に勤めていると世間の信用も高かった。周囲の人からみれば、きっと順調な人生だっただろうと思う。
でも、内面では葛藤があった。楽しいと思えない仕事で高いお給料をもらっても、ちっともうれしくなかった。このままじゃよくない、と思っても、他にやりたいこともなかった。大学まで卒業させてもらったのに、銀行をやめて、親のすねをかじるわけにもいかない。何かを見つけなくては、という気持ちで必死だった。楽しそうに働いている学生時代の友達を見て、焦りが募った。
人は何のために働くんだろう、働くことの意味や価値ってなんだろう。自分は何をしたいんだろう。毎日そればかりを考えていた。考えてばかりいて、考えることも辛くなった。たくさん本も読んだ。何か行動を起こさなくては!と思うのに、手足におもりでもついたかのように、今いる場所から動き出せなかった。
そういう毎日を送っていると、どんどん自分に自信がなくなり、しぼんだ風船のようになっていく。毎日、会社に行くのが精一杯で、誰にも会いたくなかった。そんな自分を見られたくなくて、誰にも会えなかった。
そんなよれよれの日々を送っていた頃、私が毎日のように思い出していたのは、学生時代に旅行で行ったアジアの国々のことだった。旅先での写真を眺め、アジアに関する本を読むのが唯一の楽しみのようになっていた。過去の思い出に浸っては、現実逃避していた。(く、暗い…でも当時はホント暗かったんだよ)
そして、あるとき、一つのことを急に、本当に突然思い出したのだ。それは本当に突然、神の啓示とはいわないけど、降ってきたというか湧いてきたというか、とにかく急に。
子どもの頃、私は国連職員になりたかった。
10年近くもそのことを忘れていた。10年も忘れていたことに我ながらびっくりしたけど、でも思い出せてよかった。もうそのことが頭から離れなくなった。
私は会社をやめることを決めた。今振り返れば、モラトリアム以外の何物でもないと思うけれど、私は大学院に戻ることを決めたのだ。23歳のときだった。
そのとき立てた目標は、30歳までに国際開発の仕事ができるようになるということだった。
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…ちなみに、その後、私は大学院には進学していない。
なんだかんだと理由をつけて、先延ばしにして今日まで来てしまった。大学院に行くんだ!と最初に意気込んでから、15年以上の月日が流れている。
ひえー!!近いうちに実現させなくては。来年までは仕事がつまっているので、たぶん再来年。
母は、私がこの歳になっても、まだ大学院にいくという希望を持っていることを知って、「まだそんなこと考えてるの!」と言っている。おかーさん、私は行くわよ。まだ全然あきらめてないわよ。
それから、「30歳」という目標年次は意外とあっさり24歳で達成されてしまった。人生というのは、一度流れ出すと、しばらくはその流れが続くものらしい。
実はその流れが今は停滞している。きっと流れるだろうと思って早3年。今は、時機がくるのを待つときなのかもしれない。
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ところで、私の夢はかなったといえるのだろうか?
国連職員ではないにしても、仕事内容が教育や識字率の向上ではないにしても、途上国の開発の仕事をしているという点では、夢はかなったといえるのかもしれない。15歳の私が、今の私を見たら、きっとうれしいだろうとも思う。
でも、夢がかなった!という実感はない。
夢や願いというのもは、もしかしたら、一生叶うことはないのかもしれない。目標というものは、一生達成されることはないのかもしれない。
なぜなら、夢や願いや目標は、自分の成長とともに変化していくものだと思うからだ。いつも手を伸ばした先にある、つかめそうでつかめないもの。
今の私は、どっちに向けて手を伸ばしたいのかがわからない。あちこち手を伸ばしてみるけれど、その先に何も見えない。何もつかめない。
(気が向いたら、”その3″があるかもしません…)