How I will measure my life?ー人生を評価するものさし

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昨夜、アメリカから訃報を知らせる一通のメールが届きました。

ちょうどこの本を読んでいて、「家族」に想いを馳せていたところに届いた知らせでした。

 

亡くなったのは、おじ、とここでは記しますが、私の祖母の妹のご主人(アメリカ人)です。かつて軍人だったおじは、第二次大戦直後、日本に駐留した経験があり、その際に祖母の妹と知り合い、結婚しました。

おじには、私が 19歳(大学2年生)のとき、短期の語学留学で渡米したときに初めて会いました。それ以来、頻繁とはいえませんが、メールでやgreeting cardでのやり取りを続けていました。わが家には、私以外、英語ができる人がいないため、おじにとっては、私が日本の家族とつながることができる唯一のコンタクトだったのです。

19歳の私が、「いつかはアメリカに留学したいと」話したことを覚えていてくれて、地元の大学の先生と話をしたというメールをくれたり、私のことをよく気にかけてくれていました。そして、私がハーバードに留学することになったときは、とても喜んでくれました。アメリカ人にとって、家族がハーバードに行くだけでも誇らしいけれど、日本人でそれを実現するなんて、と。

アメリカ留学中には2回、おじのところに遊びに行きました。何十年もの話を聞くには全然足りない短すぎる時間でしたが、たくさんの話をしました。日本での駐留を終えアメリカに戻ってから、祖母の妹との結婚生活にも色々なことがあったようでした。祖母の妹は、とても気の強い女性だったと父や叔母から聞いていましたが、家族と離れた異国での生活は苦労も多かったのだと思います。

この頃、祖母の妹は、アルツハイマーの症状がかなり進んでおり、おじのことはわかっていましたが、私のことは認識できていませんでした。正確には、私の存在は覚えていましたが、彼女の記憶の中の私は6歳で止まっていて、目の前にいる私は、別の誰かになっていました。(祖母の妹は、その後、ケアホームに入り、今もそちらで暮らしています)

孫のいなかったおじにとって、私は孫のような存在だったのだと思います。

そして、その孫のような私の息子のことも大切に思ってくれていました。10ヶ月ほど前、息子の大学進学のための信託基金をつくりたい、といわれました。もう80歳近くになったということで、身辺の整理を始めたようでしたが、息子の成長を見届けたいから健康を維持しないと、とも言っていたので、死期を予測していたわけではないと思います。

その息子の顔を見せてあげられなかったことが本当に本当に残念でなりません。

おじの死は、自分が人生において何を大切にしたいのか、そのためにどう行動すべきなのか、というメッセージを改めて私に伝えてくれたような気がしています。

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