キャリア

Keep on believing… その1

私が子供の頃、父は毎年、『現代用語の基礎知識』の朝日新聞社版である『知恵蔵』という分厚い本を買っていた。

ちなみに、父がその冊子を本来の目的で使っているのを見たことはない。が、昼寝の枕にしているのを見たことはあった。

その年の『知恵蔵』の付録には、「ワールド・データ・ブック」なるものがついて、世界のいろいろな国のデータが載っていた。

人口、男女の比率、公用語、宗教、通貨、一人あたりのGDP(当時はGNPだった気がする)といった基本的な情報から、上下水道の普及率、就学率、一世帯あたりのテレビや自家用車の平均保有台数といったデータまで。

その中で一つだけ、知らない言葉があった。それは「識字率」ということば。それまで目にしたことも耳にしたこともなかった。

さっそく「識字」という言葉を辞典で調べてみたら、「文字の読み書きができないこと」と書かれていた。

もう一度データ・ブックを眺めてみると、日本の識字率は100%に近かった。でも、地図でどこにあるかもわからないアジアやアフリカの国には、文字の読み書きができない人がいること、しかも少数でないということを初めて知った。

私にとってその事実は、想像を超えた驚きだった。
信じられなかった。

本も読めないし、友達と日記も交換できないし、おじいちゃんやおばあちゃんに手紙も書けないし、そもそもどうやって学校で勉強するんだ??

(当時、まだ子どもだった私は、自分の目線の高さでしかものごとを考えられなかったので、読み書きのできない「大人」がいることには考えが及ばず、さらに衝撃を受けることになる…)

その後、学校に行っていない子どもが世界にはたくさんいることを知って、ますます驚いた。子どもは学校に行くものだと思っていたし、子どもが学校に行かない世界があることなんて、誰も教えてくれなかった。

あの驚きが、私が世界、特に途上国に興味を持つきっかけだったんだと思う。

それからは、来る日も来る日も、どうやったら、子ども達が学校に行って文字の読み書きができるようになる世界を作れるのかを調べて調べて考えていた。ただやっぱり、大人が読み書きを勉強することは考えられない、というかイメージできなかった。

いろいろと調べていくうちに、世界中のいろいろな問題を解決するために国連という組織があることを知ったのだ。

そのときから、私の夢は国連職員になった。
中学校の卒業文集にもそう書いている。

国連職員になりたくてたまらなかった私は、学校の図書室や本屋さんに行って、どうやったら国連職員になれるのかを調べた。

国連職員になるには、とても難しい試験があること。英語はもちろん、そのほかの国連公用語もできた方がよいこと。自分の専門分野が必要なこと。そのためには、大学院レベルの勉強が必要なこと。日本のどの大学のどの学部が国際公務員を多く輩出しているかも調べた。

私は、中学2年生で既に、志望する大学と学部を決め、大学院にまで行く計画を立てていた。高校も、大学受験に有利だと言われる学校を受験した。(といっても公立高校ですけどね)

今思えば、かわいげのない中学生だ!と思うけど、当時は、自分がとてもちっぽけに思えて仕方なかったので、10年くらいワープして、早く大人、というか国連職員になりたかった。子どもだったけど、そのくらい真剣だったのだ。

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あれから十数年が経った今、私は、国際公務員にこそなっていないけれど、かなりそれに近い仕事をしている。私は今の仕事が好きだし、自分の好きな仕事ができることを本当にしあわせに思っている。

(たぶん、つづくかも?未定)