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伸びる人と伸びない人の差ー素直さ

うちのメイドさん、たまに激マズのカレーをつくります。ほとんどの場合、水の量に対してカレールウの量が少なすぎて、薄―――いカレーになっている、というパターン。

つい先日も、ありえないくらい薄いカレーが出てきました。色がついてたらいいの?というレベルの薄さです(笑)

日本のカレーって、それこそルウの箱に書いてあるレシピに忠実につくれば、料理の腕とかセンスとかが入る余地なんてなくて、不味くなりようがないですよね?にもかかわらず、どうしてこんなにも不味いカレーが何度も何度もつくられるのか。

答えは簡単。

レシピを守らず、自己流だから。

不味いカレーの次のカレーは、だいたい、普通レベルのカレーになります。カレーって、不味くなる余地も少ないですが、激ウマになる余地もそんなにないですよね。隠し味とかをミャンマー人に求めるのはフェアじゃないので、普通レベルで十分満足です。

前回、不味い!薄い!とクレームされてますから、いちおう気を付けるわけです。でも、またしばらくすると不味いカレー=自己流に戻ってしまいます(涙)

実は、カレーはほんの一例で、彼女の「自己流」エピソードをあげだしたら、それこそキリがありません。

彼女に仕事をお願いするときは、細かく手順を区切って指示をしています。それこそ、カレーのレシピと同じで、そこに解釈の余地がないように。一つ一つ手順を追っていけば、誰でもできるように。必要あらば、実技デモンストレーションもします。

何か問題に直面したり、ミスが発生したり場合は、問題解決、再発防止のために、ルールや仕組みを話し合い、関係者(=メイドさん、ナニーさん、夫、私)で合意します。ルールと言っても、とても簡単なこと、例えば、「息子のマグのストローは、洗った後は、必ずXXに戻す」とか、その程度です。難しいことではありません。

 でも、指示した通りにはできないのです。ルールも守れません。

きちんとできていなかったら、また私に小言を言われて、彼女だって不愉快な気持ちになるはずです。それでも、言われた通りにはできない。

最初は、能力の問題なのでは?と考えました。そのことが、手順の細分化、実技デモンストレーション、ルールづくりというやり方につながっていったのです。これ以上、どんな工夫ができるのか、いいアイデアがありません。

それに、今お願いしていることレベルの仕事がちゃんとできないとなると、メイドさんとしての適性がないと言わざるを得ないでしょう…。

他に考えられるのは、「できない」(能力の問題)ではなくて「やりたくない」(意思の問題)のではないか、ということ。ただ、本人にそう言われたわけではないし、仮にそうだったとしても、なぜやりたくないかがわからないので、事態の改善にはつながりません。

あるいは、雇い主である私のことが嫌いだから、私の指示に従いたくないとか?(笑)だとしたら、もうとっくに辞めていますよね。

あれこれ考えたあげく、思い至ったのは、

この人は、人間として素直じゃないんだろうな

ということ。そう考えると、色々とつじつまが合うように思いました。彼女は、もう50歳を超えているので、年齢のせいもあるかもしれません。

素直さを兼ね備えていないと、当然、人からのアドバイスや新しい知識の吸収力も落ちてしまいますよね。それはやはり、成長のボトルネックになると思います。

しかし、それよりも負のインパクトが大きいのは、「この人、どうせ言っても聞かないんだよね」と思われてしまい、周囲の人がその人に対して教える・アドバイスするというモチベーションを下げてしまうことの方なのではないでしょうか。

うちのメイドさんの場合、何度注意しても、失敗や経験から学ぶという姿勢が全くみえてきません。想定する成果が得られないことよりも、学習する気がないことの方が、実は大きなストレスだつたりします。

自己流で行きたい人は、それはそれでいいと思います。でも、自分の成長を助けてくれる人が離れていってしまうかもしれないということを心に留めておくべきでしょう。

人のふり見てわがふり直せ。自分自身も、歳を重ねても、素直な人間でありたいものです。自戒も込めて。