終戦の日に思うー母として、平和のためにできること

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一昨日8月15日は、終戦の日でしたね。

日本時間の正午は、ちょうど車で移動中だったので、車中で黙祷をしました。

私はこれまで、カンボジア、アフガニスタン、ミンダナオ(フィリピン)、南スーダンという国で働いてきました。こうした紛争国/紛争終結国といわれるところで働いてきた経験を通じて思うのは、戦争や平和と一言にいっても、様々なレベルがあるということです。

例えば、安保法案や安部首相の談話というのは、国、あるいは国をさらに超えた国際社会レベルの話です。

大所高所の話は必要であり重要だと思いますが、時間に追われる生活の中で、安保法案の議論や安部首相の談話については、ネットで記事をフォローするくらいで、考えを深めたりする余裕がありません…。

ただ、(独り善がりかもしれませんが、私の)思いとしては、紛争や平和の問題を考えるとき、もっと個人に寄り添ったものであってほしいな、と。

個人の延長線上に、集合体としての国、国際社会がある。一人一人が声をあげられる社会でなくてはならない。そして、その声が然るべきところに届かなくてはいけない。勇気を持って声をあげた人が、周囲の人を巻き込み渦をつくって、社会を動かす力になっていく。

そんなふうに考えています。

そして、私が携わる国際開発の世界でも、一職業人として、そういう人々の声を拾って届けることができる人になりたいと思うのです。

今の私が一個人としてできることは、関心を持ち続けるということ、人の話をよく聴くこと、そして、子育てをしっかりやることかな、と思っています。

自分の愛するひとを、国のために失っていいと思う人なんていないと思うんです。

紛争地で働いているときももちろんそう思っていましたが、母親になって、このことは自分自身の問題となりました。平和の定義は人それぞれ違うかもしれませんが、愛するひとを守りたいという気持ちは、人類共通のものであり、この思いこそが、平和を希求する原動力になると私は信じています。

そう考えると、平和をつくっていくうえで、子どもを育てるってすごく重要な任務だな、と思います。

息子には、「声をあげる」ことができる人、そして人々の話にしっかり耳を傾けられる人になってほしい。平和というのは、与えられるものではなく、つくっていくものなんだということをわかってほしい。

そのためにも、働く私の背中を、息子にはちゃんと見せ続けたいなと思います。

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