最近、息子のお世話を手伝ってもらっていたナニー(ベビーシッター)さんに辞めてもらうことになった。
今となっては、これは偶然ではなく、必然だったのかもしれない、と思う。
保育園などないヤンゴンで共働きのわが家には、2人のナニーさんがいた。午前シフトのナニーさんは、朝の準備とNurseryへの付添い、午後シフトのナニーさんには、Nurseryから帰ってきた後の息子の遊び相手をメインに、食事や入浴などを手伝ってもらっている。
ある朝、午前シフトのナニーさんが来ないのでおかしいなと思って電話をしたら、「妊娠して悪阻がひどく、働けなくなった」と言われてしまったのだ…。
さっそく翌日から、朝の準備を夫婦で分担する状況になった。これまで、ナニーさんのおかげで座って食べていた朝食も、今は、一瞬たりともじっとできない息子を追いかけながら、身支度を整えさせる合間に、立ったまま食べるようになった。もうてんてこ舞いである。
が、なかなかいい人が見つからない…。
ナニーさんを雇うということは、子育て業の一部をアウトソースすることで、時間と労力をお金で買うこと。働きながら子育てする、自分の時間を確保するために必要なこと、と割り切っていたつもりだった。結局、たどり着いた答えは、
これまで、Nurseryへの送迎、朝食を食べさせる、おむつ替え、着替え、Nurseryの準備etc…をナニーにさんにお願いしていたけれど、これら全てを自分でするようになった。毎朝、動き回る息子を追いかけ、なだめすかして着替えや歯磨きをする時間は、大変だけれど何か楽しい。
例えば、洋服を着替えさせるとき、息子の肌に触れながら、「あれ、ここ乾燥して赤くなってる」と気づいてクリームをぬってやる、そんな些細なことでも、心が温かくしあわせな気持ちになれるのだ。
息子と触れ合う時間は、やっぱりかけがえのない時間なのだ。
しばらくの間は、息子と過ごす時間を一番のプライオリティにしよう。「もっと子どもとしっかり向き合っていればよかった」という後悔はしたくない。子育てに費やせる時間は、きっと長い人生のほんの一部だ。そしてこの経験も、人生の糧にしてみせよう。そう考えたら、何か張りつめていたものがふっと緩んだように感じた。
ナニーさんの妊娠により、彼女を手放すことになったのは、「息子との時間を大切にするように」という新しい生命からメッセージだったのかもしれない。突然、ナニーさんと離れることになってしまったけれど、私たちはこれまでとはちがう新しい形でつながることになっただけなのだ。
彼女に元気な赤ちゃんが産まれますように!