マインド

トランプが相手じゃなくてもヒラリーは負けたかもしれない

ヒラリー候補の敗北演説を見た。

スピーチは素晴らしかった。
特に、若者や女性に向けたくだり。

彼女が当選していたら、
世界はまたちがった色を見せただろうな。

でも…

彼女の後ろに映るクリントン氏が
目に入った瞬間、とある考えが降りてきた。

対抗馬がドナルドでなくても、
ヒラリーは負けたかもしれない、と。

夫婦そろって大統領なんて、
世界中探したって、どこにもいやしない。
しかも世界一の大国アメリカの大統領。

そんな彼女の支持者には、
リベラルなエリート層や、
エスタブリッシュメント層も多いだろう。

そんな<<特別すぎる>>人(たち)に、
自分たちを代表して、国をリードして欲しくない。

それが民意だったのではないか。

ドナルドがいいんじゃなくて、
ヒラリーが嫌

ヒラリーが象徴する、
エリートや権力への嫌悪感

わたし自身が感じたのは、
嫌悪というほど、
強いネガティブな感情ではなかった。

どちらかと言えば、
「あれ、何かちがう?」という
違和感に近い直感。

でも、その違和感を持って見ると、
ヒラリーがスピーチで言っていた
分断だけではなくて、

格差、閉塞感、疎外感
大国であり続けるためのコスト…

色々なものが見えてくる。

アメリカの闇は、
外から見るよりもずっとずっと
深いのかもしれない。

***

ハーバード時代の友人たちの中にも、
隠れトランプ支持者はいただろうと思う。

でも、それを表明することは、
ものすごく勇気がいることだ。

トランプ支持なんて言おうものなら、
人種差別主義者、女性蔑視者という
レッテルを貼られてしまうから。

その代償は大きい。
そうなると、黙るしかない。

誰を支持してるとも言わずに、
無関心を装うサイレントマジョリティー。
自由の国で、表現できない不自由。

でも、もし、わたしがその場にいたら、
「意見を述べない」ことを選んだと思う。

***

好きの対義語は、嫌いじゃない。
好きの対義語は、無関心だ。

でも、やっぱり、
わたしは、無関心ではいたくない。

だから、今日はあえて、
「自分の気持ち、意見を述べる」
という選択をしてみた。

世界はどう変わるかわからない。
日本がどう変わるかもわからない。

変わるかもしれないし、
変わらないかもしれない。

でも、わたしは、確実に、
変化の一歩をふみだした。

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